紫苑の歴史 |
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| 紫苑が日本に定着したのは、一千年前の平安時代以前だといわれています。 当時の書物『本草和名』(日本最古の草本書・1025種の薬草を記載。918年 延喜18)にも紫苑は記載されており、更に480年頃、中国最古の薬草本である神能本草経(中国古伝説上の帝王、神農が百草を舐めて創ったと言われている原書の再編本)にもその記録が残されています。 |
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薬草として日本にやってきた紫苑。 みなさんご存じの、平安時代の小説『源氏物語』。 中宮の町の秋の庭には、再び盛りの花の色が訪れていた。【中略】鴨跖草(つきくさ)の青を点々と遣水(やりみず)のように引き寄せるものは、紫苑の一叢(ひとむら)。【中略】虫の篭を提げ持った女童達が階を下りてくる。紫苑なり撫子なり、その色目をあるいは淡くあるいは濃く染め分けた衵(あこめ=内着のこと)。 秋の花として、そしておそらく平安の雅な風情を飾る、一つの重要な色として、そこに紫苑はありました。 |
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| 紫苑(シオン)という呼び名は、前述した本草和名の中で『漢名:紫苑』と記され”苑”は呉音(ごおん=古い中国南方系の読みが伝来)で、そのまま和名として”オン”が定着。その意味も”囲い・園・物事の多く集まる場所・草木が茂る様子”などから、紫の花の集まり=紫苑となったのかも知れません。 また、花の時期が中秋の名月とも重なるところから『十五夜草』という名も。 平安の人々は名月を眺めるとき、ススキと共に紫苑の花の中で、天を高く仰ぎ見たのでしょうか……。 また、紫苑のことを『加乃志太』(かのした)と記した900年頃の書物もあり、これは紫苑の葉が鹿の舌に似ているところから、そう呼ばれたとも言われています。(前述の紫苑の花・拡大写真参照) 沢山の異名を持つ紫苑。 もうひとつの別名「鬼の醜草」について 余談:「酒呑童子」については謡曲の他、絵巻・御伽草子・浄瑠璃・歌舞伎など、多くの題材として使われている。 |
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